ぼく 谷川俊太郎

ぼくは
うまれた
かぶとむしが
くりのきをはい
みずたまりが
かすかなゆげをあげる
あさ
めもみえず
みみもきこえず
ただくちだけを
おおきくひらいて
はじめての
くうきのつめたさに
ひめいをあげ
ぼくは
うまれた
くもが
やぶれたすを
つくろい
おちばが
おともなく
ふりつもる
ちじょうに
はだかで

ぼくは
うまれた
ほろびさった
いきものの
かせきをけずって
かわがながれ
そのうえのそらは
どこまでも
あおいこのほしに
わけもわからず
ははおやのちぶさに
すがりつき
ぼくは
ないた
なきながら
うまれた

ぼくは
ねむった
ひとが
ひとを
ころしている
くらやみに
よりそって
ねむる
からだの
ぬくみにまもられ
だまっている
あまのがわの
きしべで
まだやわらかい
つめを
のびるにまかせた

(もういいいかい
 まあだだよ )

それから
ぼくは
はしった
あかるいほうへ
ひだまりのなかで
はじめての
ほほえみが
ぼくのかおを
ひらき
ぼくは
なめた
ぼくは
しゃぶった
すべすべと
ざらざら
ふわふわと
こちこち
とてつもなくおおきなものの
ちっぽけなすみっこを

そうして
ぼくはさわった
ぼくでないものに
よだれのうみから
たちあがり
ちいさなゆびを
まげ
ぼくは
つかんだ
ぼくは
ふりまわした
ぼくは
なげた
ぼくは
こわした

ぼくは
ゆびさした
やまやまのかたに
うかぶくも
ほえるいぬ
したたるみず
ひとのかおを
それらが
なにかもしらずに
それらがあることに
おどろいて
ぼくは
みつめ
こえをあげた
すると
もうひとつのこえが
こたえた


といった
ぼくは
おお
といった
けももの
なきごえをきき
ひとの
どもるのをきき
たいこと
ふえをきき
ぼくも
ぼくを
ならした
できたての
すずのように

つきがかけ
つきがみち
ぼくは
あゆんだ
こいしにつまづき
ひいてゆくなみを
あしのうらにかんじながら
かぞえきれぬほどの
なまえを
ひとつまたひとつと
おぼえ
とうすみとんぼを
すきといい
むかでを
きらいといい
にじのいろをかぞえ
にじに
てのとどかぬことをおぼえ
われながら
おもいでを
ためこみ
みようみまねで
あすをうらない
おしえられるまま
めにみえぬものに
てをあわせた

(もういいいかい
 まあだだよ )

ぶよがとんだ
つばめがとんだ
ゆきがおちてきた
そのうえの
そらの
ふかさに
ぼくは
なれた

あさがきた
いわからいわへ
けももの
あとをおい
ぼくはまった
ふゆがきた
しんでゆく
としよりの
あしもとで
ぼくはまった
はるがきた
いいにおいのする
つちのなかに
たねをうめ
ぼくはまった
なつがきた
まつりの
おどりのわのなかで
おどりながら
ぼくはまった
こもれびのしたで
ぼくのしんぞうは
うちつづけ
ぼくは
いぶかった
どこからきて
どこへいくのかと
けれどそのといは
ゆめにまぎれ
よがあけると
ぼくはいっぱいの
つめたいみずをのみ
しぬことを
おそれた

なぐり
なぐりかえされた
うそをつき
うそをつかれた
ひとりでうずくまり
にやりとわらった
そしてそれらが
すぎさった

はかをほった
きをきりたおした
かわをせきとめた
がけっぷちまで
みちをたどった
ひきかえした
そしてそれらが
すぎさった

おしっこした
おならした
げっぷした
くしゃみした
あいした
(とおもった)
そして
それらがすぎさった

(もういいいかい
 まあだだよ )

ぼくそっくりの
こどもが
きのなかに
かくれていた
つりあげたさかなが
ゆうやみに
にぶくひかり
つぼのさけと
おんなの
かみのにおいが
まじりあい
くさむらで
へびがかえるを
のみこんでいた
かがみのおくへ
ふみこむように
いちにちの
おわりを
ぼくは
ふたたび
よるへと
あゆんだ

はだかの
ぼくがいた
ぼくは
ぼくをみつめた
そのめのなかに
わかものの
ぼくがいた
ぼくは
わらっていた
そのめのなかに
こどもの
ぼくがいた
ぼくは
はしっていた
そのめのなかに
あかんぼうの
ぼくがいた
ぼくは
ないていた
そのめのなかに
もうなにもなかった

どこともしれぬ
ところ
いつともしれぬ
とき

ぼくは
あえいだ
ぼくは
もがいた
だが
なんの
てごたえも
なかった
めもみえず
みみもきこえず
ただくちだけを
おおきくひらいて
ぼくはさけんだ!

そして
すべての
まぼろしが
きえさり
たんぽぽの
たねが
ゆっくりと
そらにただよい
いけに
はもんのひろがる
あさ
このちじょうで

ぼくは
しんだ

(もういいいかい
 もういいよ )