夕べの漱石は遅くまでだったのでさすがに一日疲れていた。 |
今日はずっと雨だったよ。夕べからずっと仕事。時々眠りにつく。 |
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絵を描きに行った。なんか空虚だ。 少し寒い。ふなむしがいっぱいいた。 ふなむしはロボットのようで、 しばらくいると慣れてきて逃げない。 でも気持ち悪いので追い払った。 緑色の小さな蜘蛛もたくさんいた。 盛んに自分の居場所を作っていた。 デジカメの電池が切れたので、 丁度よい夕焼けを撮り損ねた。 風車のそばでしーんとして絵を描いた。 |
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色鉛筆で絵に描いたが、 |
海は貝殻の砂がたくさんあった。 |
暑い・・・。深夜に雨が降り涼しくなった。激しい雨だった。 2001.6.26 |
むせかえるような緑の匂い。今日はなんて暑いのだ・・・。 2001.6.25 |
イングリッシュ・パーティ。バイトにPM4時から行った。そして深夜の1時まで。 2001.6.24 |
夜、友人と映画を観に行った。 2001.6.23 |
父の命日で、毎年何かしらすすんでいるが、個人的な事情で今日には間に合わなかった。 |
朝から英会話、それから絵画教室。 のんびりとした午後に絵を描かずにうとうととしてしまった(^_^;) 近所のノラちゃんもわたしの車の上にうとうと・・・・。 最近気候のせいか眠いんだよなあ・・・・。 2001.6.21 |
今日は漱石のバイトがお休みで映画を観に行った。 |
ありがたいお話です。お仕事のお話。がんばろう。
今日は変な天気でした。こんなに風が強くて大気が不安定なのに、楽しいです。 この空・・・みてよこの空。 なんでって?? わたしの植木が折れて、その腕をこんなちっちゃな入れ物に入れておいたら、 旅から帰ると透明な根が出ていた。元気だ。元気だ。うふふ。 この器は陶芸の先生、梅北くんがくれた見本品です。 わたしの作った☆を沈めて、クローンを育てているの。 |
今日はとてもすがすがしい気分であった。しかし、日中はまったく暑い。 |
ただただひたすらに眠りと放浪の日々。心地よい風が吹いている。 |
目的のある放浪の旅。それはまた不安であったが、ただひとつの事柄で、 |
とても謙虚な気持ちになっているときはただただ、ありがとうとしか出ないものです。 急に気持ちが切り替わり、浮き足だって躓くかもしれないが、 |
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今日は髪を染めに行きました。ですから撮影。
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夕べの飲み過ぎできっと酒気帯び運転・・・(^_^;) |
ジャズコンサートに行って、お店に出てすっかりお疲れです。 |
エリック・クラプトンが引退するというので、漱石のバイト中DVDを観ていた。 |
嫌なニュースばかりで感覚が麻痺してしまいそうだ。 |
音楽の贈り物をもらいました。それはそれは美しい心持ちで、美しすぎるピアノで、 |
いつもみなさんのあたたかい言葉、お気持ちには感謝します。 わたしはいつも独りでぼーっとしてるのに、お心遣いありがとう。 33歳というぞろ目の年をいい年にしたいと思います。 今日という日に生まれたことは、きっととてつもなく大きな意味があるのだろう。 わたしは何よりも誕生日が好きです。 この数字の並びも用意されたように思い、楽しい気持ちになります。 だから6月は好き。梅雨だけど、好き。紫陽花も好き、きれいな言葉、きれいな雨。 雨や涙は心の浄化をすると思います。とてもすがすがしい雨の後の天気が眩しい。 今日は本当にありがとう。わたしがわたしでいてよかった。 2001.6.7 |
今日も映画だ・・・。 2001.6.6 |
映画を観て感激です。 2001.6.5 |
とんでもない目に遭いました。公衆のトイレでののぞきです。 女性の方は下の隙間のあるトイレにはご注意。 隣のトイレから鏡を差し入れて覗かれました。 でも、それよりも怖かったです。 トイレからでれませんでした。 「もし・・・・されたら・・・・」いろんな思いが・・・。施設の人に言うと、 施設外のトイレなどでは、上からカメラをまわされそうになった被害もあるとか・・。 噂にはきいていましたが、まさか自分に・・・。 でもね、本当に怖かった。 いざとなったら足がすくんでしまうものです・・・。 少し新しい発見があった。 こういった人間としての不安や心のゆらぎが日々わたしを苦しめていたが、 夕べの小野さんとの話や、車を走らせているときに見た廃屋が前を明るく照らしてくれた。 数年前の台風の時に壊れたままになっている廃屋。行動はおこさなくてはならないのだ。 そして、いい話を聞いた。わたしは間違ってはいないと思う。 人をあたたかくさせる絵を描いてゆこうと思う。 そして、人をあたたかくさせる人でありたいと思う。 2001.6.3 |
いろいろと心がゆさぶられることが続いている。 木曜の絵画教室を休んだので小野さんにお願いをしたら、今日は陶芸に行くと言われるので、 わたしも陶芸に行った。そうして、わたしは漱石で天ぷらなどの揚げ物を盛る皿を作ってきた。 上手く出来たらいいな。 教室の延長で、小野さんと絵の話をした。深く深く話した。 絵について、絵描きとしての生き方について、社会との融和。 小野さんは人生がなんでもない固まりの積み重ねであるように言った。 そういった表現を観て、頬をつけてみたくなった。肌で感じてみたかった。 絵を肌で感じる・・・なんて贅沢な。ざらざらとした感触。 なんでもない日々の連なりが心地よいのだ。きっと。 そして、自分とは違うことを実感して、心がわくわくした。いろんな感じ方があるのだ。 今日は忘れられない日になった。もう、自分に迷わず、自分の魂を表現していこうと思った。 絵描きは常に孤独であるのだ。それでも、表現せずにいられない。 2001.6.2 |
今日は忙しかった。夕方から陶芸の作品を取りに行った。 すごくいい感じに色が出ていて感激した。 2001.6.1 |