静かな師走

最近、他人より一日の時間の尺が短いようだと気づいた。

12月になって、2日ぐらいしか経っていないようなのに、もう6日なのだ。
この調子でいくと、多分1週間で来年になってしまうだろう。
私はすでに「アセンション」してしまって、時空をさまよっているのだ。

そういう、アセンションの影響なのか、今年の前半は車のトラブル続きで、
夏は水害にも遭ったし、後半は前半から影響された鬱状態で大半を過ごした。
在宅で仕事をしているので、はっきり言って引きこもりだったとも言える。

それでも、古い日本家屋なので、土間をつたって棟を移動していると鬱屈感はないし、
中庭で植物と鳥と空を眺め、趣味の写真も楽しんでいた。

しかし、社会から離れた生活は、世のリズムと違ってくるようだ。

もともと子供の頃から、山の上で流れる雲を何時間も見ていることができる子供であったし、
友達が挫折した、青春18きっぷでの長時間鈍行の旅も飽きることなく楽しめる若造でもあったし、
他にも、思い起こしてみると、あらゆることに「時間のかかる」人間なのであった。

仕事に追われて忘れていたが、私は、本当に社会的に不器用な人間だったのだ。

だから、何かが切り替わると言われているこの年の終わりに、
やっぱり、ぼうっと空を見上げて、星たちと話していようと思う。

私は、変わらない。
それが大事。

社会がコロコロと変わり続けてきたサイクルの終わりに、
変わらないという風に、変わってゆこう。

変わろうとしていた自分に、さようなら、なのだ。

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痛々しい未来

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透けて見える未来。
光じゃなくて、勝手に今考えられる不安要素が育った何かを見、ざわざわと頭ん中のマグマが昇りつめる。
すごい勢いで、シナプスをめぐる不安要素。
分析。

すごい勢いで、バリアの檻がはりめぐらされ、そうか、結局、私は癒されないまま突っ走ってきているのだと、そこに集約されてゆく。

いい加減に、安全なところでやすみなさい。

結局、戻るところは、あの暖かな光の中。

すべては自分の作り出した世界。
未来も、空想でしかないのだよ。